Are we mistake?

2003年12月19日
『何がしあわせかわからないです。
 本当にどんな辛い事でも、
 それが正しい道を進む中の出来事なら、
 峠の上りも下りもみんな、
 本当の幸せに近づく一足づつですから。』
      
              宮沢賢治「銀河鉄道の夜」



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最近「間違ってる」って単語の使用頻度が高いです。
主に私ともう1人だけですが。

この場合の「間違ってる」の意味は、
「自分が好きになった人が正しいか否か」っちゅーことです。

自分が好きになった人は本当に好きになってよかったんだろうか、、、。
と言う不安から生まれた、ある意味『新すぃ日本語』です。

ぶっちゃけ私は「もみじ君が好きなんだょ」宣言をしても、
なんかやっぱどっかしら不安です。
不安の原因は、、、、まぁ12/15に書き連ねたとおりです。

でもね。

さくら君が好きだった頃、
もみじ君に相談してたメールの中にこんなのがありました。

「人を好きになると言う気持ちはとても大切なものであり、それに他人が賛成とか反対とかは無理だと思うよ?良いか悪いかなんて誰も決めれる事じゃない。それだけはキミ自身の問題。俺が否って答えたらどう答えるつもりだったの?」

さくら君の事好きだけど、本当にこれで良いのかなぁ?
みたいな事を質問した時のだと思います。

もう1つ。

「自分の思うがままにしなさい。余計な感情は本能の邪魔になるから。たとえば、感動の場面を見た場合なくでしょう。でも、いろいろ考えると泣けなくなるもの。つまりいらん考えを捨てて、なすがままに、感情の揺れ動くままにすればいい。じゃないと後悔するよ。」

保護しといてよかったぁ。
今はこのメールを何度も読み返してます。
そしてその度に納得して安心します。

いいんだよね、もみじ君?君の事好きで。
自分の思うがままにするょ☆


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もみじ君のメールってさ、
結構こーいうの多くてさ、どんな偉い人の哲学より身に染みるの。
だから、初メールから全部消してない。

こんなん兄さんだけやで。

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